頑張ることをやめてみる。

いくつもの学校を転々とするアラサー教員のメモ

卒業!

お久しぶりです。

なかなか書く時間もなくダラダラ時だけが過ぎてました・・・。

3月に入って、少し経ちましたが少し山場を越えた学校も多いのではないでしょうか。

まぁ成績がまだ出ていない学校がほとんどだと思いますので、まだなのかな?

 

◉卒業シーズン!

ついにこの季節というか、まぁ毎年くるのですが。

 

卒業に伴い、学校では卒業式を行います。

卒業式も重要な行事の1つなので、先生やられてる方は人によっては、大変で嫌だと言う人もいれば、先生によってまちまちだと思います。

 

個人的には生徒が一番可愛く見える時期で、僕は1人でも感謝の気持ちを伝えに来てくれると報われます。

 

そう、子供達っていい意味で素直で、挨拶に来てくれる子も多くいます。

 

ある意味、自分の教育の答え合わせみたいになりますから、少しでも思いが伝わっていたか現実を知ることになりますが。

 

まぁでも1人でも大人として、巣立ってくれるのは教師としての喜びでもあります。

1人でも大人になって、学校から社会に巣立ちしてくれたら嬉しいですね。

 

3学期

今日はだらだらとー。

 

早いものでもう2月半ばです。

学校という場所は終わりに近づいてます。授業も後2、3回、テストを残すのみと。

生徒は3年生が受験、卒業と慌ただしく進んでいきます。

 

教員はというとそんなの関係なく日々が進んでいきます。

むしろ今は全国の教員みんなテスト作成、成績処理で忙しく過ごしているのではと思います。

 

僕はというと教員以外の仕事も2、3件いただいており、毎日やることがあるのにかまけてます。

忙しいと言ったら終わりなので、忙しさを楽しみながら過ごしていこうと思います。

学習指導要領改定案

<学習指導要領>知識使う力、重視 異例の指導法言及 (毎日新聞) - Yahoo!ニュース

 文部科学省が14日発表した次期学習指導要領改定案は、知識習得が中心の受け身の学習ではなく、討論や発表などを通した「主体的・対話的で深い学び」(アクティブ・ラーニング)による授業改善を打ち出したのが特徴だ。小学校高学年での英語教科化など新たな項目も加わり、教員に求める能力はますます高くなる。一方、必要な教職員の配置など現場を支える手立ては整っておらず、学校には不安も渦巻く。

 

昨日、世間はバレンタインに沸く中、公表されましたね。

領土問題に踏み込んだり、色々すでに話題になってますね。どうなるのやら。

スクールカースト

ご存知ですか?
ほぼ100%の学校にあるスクールカーストという現状。
まぁ、悪いですけどこれは100%無くなりません。何故なら大人社会にカーストがあるからです。

 

カースト

カーストとはもともとヒンドゥー教身分制度のことです。

紀元前にインドを征服したアーリア人が先住民を肌の色で差別したのが始まり。上からバラモン(司祭)、クシャトリヤ(王侯・戦士)、バイシャ(商人)、シュードラ(隷属民)に分けられ、その下に不可触民がいる。インド憲法カースト差別を禁じる一方、インド政府は不可触民を「指定カースト」、シュードラなどを「その他後進諸階級」と認定し、優遇策を講じているが、日常的な差別は解消されていない。
(2010-12-16 朝日新聞 朝刊 2外報)

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現在はインドでも法律で禁止されているため形上はありません。もちろん、日本もこんな制度元からありません。

 

しかし近年話題になっています。

特に学校現場ではスクールカーストと呼ばれ、生徒を分類し、それがいじめなどにつながっていると言われています。

国の偉い人や自称教育評論家の方々はこんな制度がなくなっていかないといじめなどは無くならないと訴えています。

 

◉大人の背中を見て育つ。

最初に書いた通り、僕はスクールカーストなんかは無くなるわけがないと思ってます。

なぜなら、大人社会にカーストがあるからです。

子供は親の背中を見て育つと言いますが、本当にこれに限ります。

大人社会にまかり通っていることを子供社会だけにダメと言っても伝わるわけありません。

 

もう1つ無くならない理由があります。

それは多くの教員が楽と考えるからです。

 

カーストを利用する教員。

カーストがあるとなぜ楽なのか。

それは教員がやらなくとも、生徒自身でグループ分けをしてくれるからです。

教員は授業にしろ、HRにしろ、生徒自身が作り上げたグループを利用すればいいだけなんですから。

こんなに楽なことはない。本来混じらないであろう人間を混ぜずに済むのだから。

 

こんなことに甘えているから学校という場所では上位にいるとされるグループがより力を持ってしまうのです。

結果、いじめ、自殺につながっていってしまうのです。

 

◉概念を変える。

ではどうするか。

別に分かり合える人達でグループを作ることは何も悪くない。それに優劣をつけるのがいけないのです。

子供は大人を見てます。まずは大人である教員が優劣がつくような行動を避けるべきでしょう。

 

さらに教員はカーストを利用しないことです。いい意味で生徒を無視する必要があります。

授業は仕事なんかと変わりません。嫌なことも受け入れさせないといけない場面があります。

ただ相手は子供です。少しでもフラットに出来るように大人の目を切らしてはいけません。

 

原発いじめで被害の男子生徒が横浜市長あてに手紙「どうして…」 - ライブドアニュース

毎日のようにいじめのニュースは出ます。

残念ながら日本の教育現場は変わってません。

現場の教員は頑張ってますが、現状頑張りの方向性が変わっています。

早く生徒にその頑張りを向けられるようにお国が変わってくれないと、どんどん教育は疲弊していってしまうでしょう。

頑張ることをやめてみる。

というわけで、1つ目のブログは通勤の満員電車に揺られながら書いてます。

 

◉頑張ることをやめてみる。

この本題やブログタイトルにもしているこの言葉ですが、僕のモットーでもあります。

僕は教員ですが、生徒によくこう言ってます。決して悪い意味で言ってるわけではありません。

 

世の中色々ありますが、みんな頑張りすぎなんです。人それぞれキャパがありますし、それがどんだけあって後どれくらい頑張れるなんか分かりゃしないのです。

だから頑張ることをやめて、自分の範囲内で頑張ればいいんです。

もちろん出来る人はたくさんやればいいし、無理そうな人は1つずつにすればいい。

 

◉学校という世界。

教員は何かと頑張ることを子供に強要します。子供に頑張ることの意味を説明せずに。

「余裕があるならもっと頑張りなさいね」

学校にいるとよくこんなことを耳にします。

真面目な多くの子供たちは嫌だと思いながらこの言葉通り、頑張ります。

でも中にはこの無責任な言葉に嫌気が差し、投げ出してしまう子供も多くいます。

それが小学生の頃なのか、中学生の頃なのか、はたまた高校生の頃なのか、人によってまちまちです。

 

◉大人の責任。

僕は、大人の責任は子供を立派に育て上げるのではなく、子供に善悪の取捨選択をさせることだと思ってます。

だから、頑張ることを強要しません。

いつも今何をすることが重要なのか、それが自分で出来ることなのか、考えさせます。

頑張らなくてもこなせるように、じゃあ自分の行動をどうしようと判断させていく感じです。

出来ない状況で頑張らせようとしても子供は絶対出来ない。だからこそ、大人がその子がその子のペースでやれるように修正だけしていけばいいと思ってます。

 

 

書きたいことはうまくまとまらなかったけど、僕の永遠の教育テーマでもあります。

ちょこちょこ書いていければと思います。

ブログ始めてみる。

誰が見てるかとか、書きたいからとかではなく、この通勤時間を利用してブログ始めてみようと思います。

 

初めまして。

これからブログを書いてみようと思っているものです。

職業は学校を転々としているアラサー教員です。このブログでは教育や色んなことをちょこちょこ書ければと思います。

 

まぁなんでブログを書こうかなと思ったかというと、中学生の時書いていて抵抗がないこと。

後は、はてなブログを見ていて面白い人が多いこと。

まぁこんなとこです。

自分に書けるかは分かりませんが、頑張らずに続けます。良かったら見てくださいな。